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私がムスリムになった経緯をまとめてみたい
.بسم الله الرحمن الرحيم
私はムスリム(イスラーム教徒)です。2017年5月にムスリムになりました。
実は私の住む長野県松本市のすぐ近く、塩尻市に最近新しいモスクができ、2週間前から塩尻のモスクに礼拝に行っています。
これまでは坂城町にあるモスクに通っていたのですが、今後は塩尻のモスクに通うことになりました。
2週間前に初めて塩尻のモスクに行った際、改めてパキスタン人の方々やインドネシア人の方々に自己紹介をしました。
その際、「なぜイスラームに入ったのか?」という質問を受け、答えました。
改めて自分がイスラームに入った理由を考えてみると、「多くのきっかけに運ばれてきた」という感覚が強いです。
今後も「なぜイスラームに入ったのか?」と訊かれる機会がありそうですし、自分自身でも整理がついていなかったので、考えつつまとめてみようと思います。
なぜムスリムになった?
「なぜイスラームに入った?」と訊かれ、さまざまなきっかけや経緯を話したことはあるものの、「なぜ」という部分については答えたことがないことに改めて気がつきました。
「どのように」については答えられますが、「なぜ」という問いに答えることは難しいです。
「〜〜するため」、「〜〜だと思ったから」という説明をしてしまうと、たくさんの大切なことがそぎ落とされてしまう感覚があります。
なぜ私がムスリムになったのか?──アッラーのみぞ知る、です。
なったというより気がついた!?
ムスリムに「なった」というよりは、自分がもともとムスリムだったことに「気がついた」という方が近いかも知れません。
保育園の頃から、自分が見ている世界と、周囲の人たちと共有しあえる世界とのギャップを感じていました。
「周囲の人たちには真実の世界が見えないんだ」という感覚を強く持っていました。
その感覚は小学校、中学校と進むにつれて薄れていきましたが、周囲と共有される「現実」や社会というものへの違和感として残り続けました。
今振り返ってみると、イスラームを知らない人たちが頭の中で作り出したイデオロギーになじめないのは自然のことだったように思えます。
国家、社会、権威、金銭的価値、人々が語る「正しさ」、「偉い人」…これらは知識や経験、能力に限界のある人間が作り出したものに過ぎません(これらがアンデルセンのいう「皇帝の新しい着物」(通称『裸の王様』)であり、イスラームのいう「偶像」だったことを後で知ります)。
それらに従うということ、つまり自分の魂をそれらに預け、支配されることに違和感を覚えていたように思えます。
シャハーダするまでの経緯
「なぜ」については答えは出せないので、「どのように」に話をすり替えたいと思います。
私は今年の5月8日の夜に自宅でアッラーにシャハーダし、12日に坂城町のモスクでシャハーダを行いました。シャハーダはイスラームに入るために必要なことです。
シャハーダとは
シャハーダは、「信仰告白」と日本語に訳されます。
「アッラーのほかに崇拝に値するものはなく、ムハンマドはアッラーの使者である」という内容をアラビア語で唱えます。
アッラーに向かって、続いてモスクでムスリムの方々の前でシャハーダすることで、改めて私はムスリムとなりました。
キリスト教会に通っていたこともあった
実は以前、キリスト教会に通っていたこともありました。2011年のことです。自分の限界や人間関係、恋愛のうまくいかなさなどに悩んでいました。
そしてすべてのうまくいかなさの根っこには、「他者に完全性を求めていること」があると感づいていました。
人間には限界がある。完璧な人などいない。誰も自分のことを100%わかって受け容れてくれるなどということはない。それを求めてしまうことがすべてをうまくいかなくしている──と感じていました。
とはいえ、「そう理解した」だけでは何も変わりませんでした。
自分を100%わかって受け容れてくれる完全な存在──つまり神を求めたいという気持ちになりました。
しかし、今思えばこれは本当の信仰心ではありません。
私は神の存在を信じていたわけではなく、ただ自分をうまくコントロールするための道具として「神」を無理矢理信じ込み、頼ろうとしていただけでした。
日曜日にカトリック教会のミサに参加しました。親切なイラク人のクリスチャンと知り合いました。そしてクリスチャンになろうと思い、キリスト教講座に通います。
『旧約聖書』を読み、居眠りをしながら神父さんの解説を聞いていた記憶があります。
しかし、途中で教会に行くのをやめます。もともと信仰心がなかったので、宗教が自分の最上位にはなっていませんでした。
転職することになり、環境が変わったことで悩みに一旦蓋がされ、「無理に信じようとしたけど無理だった」無神論者に戻りました。
ただその時、キリスト教会について違和感を覚えていたことも記憶しています。
神を信仰しているのになぜ直接神に祈らずにイエス・キリストや聖母マリアに祈るのか?
『新約聖書』の福音書のどこにもイエス・キリストが神だという納得のいく根拠がないのになぜ三位一体説などというものが出てくるのか?
これらは宗教というよりも政治的にでっち上げられた物語ではないのか?
無心に祈っている一般信者が信仰心が強く、やたら理屈で納得や説明しようとする人たちは不信心なのではないか?──などなどです。
2016年冬、「生きる意味」について考える
昨年2016年の冬、生きる意味について考えることになりました。
母方の祖父が弱っており(今年の5月に亡くなりました)、「老人が苦しみながら生きているとしたら、ただの虐待じゃないか?」、「苦しんでまで生きる意味って何だ?」、「老人自身が自分で自分の生き方や死に方を判断できない──つまり自分の人生の基準となるものさしを見つけていない場合が多いのではないか?」など、さまざまなことを考え、モヤモヤとしていました。
同時に、自分自身についても同じでした。
お金を稼ぐ、結婚をする、家庭を作る、社会的に承認される、欲を満たす……このようなことは生き続けるモチベーションにはなりえないと感じました。
また、これらを生きるモチベーションにすることは、結局他の誰かに相互依存・相互従属することに繋がるようにも思えました。
最終、どこに行き着くのか?──他人に迷惑をかけながら、ただ長生きをして自分の欲を満たし続ける──そのような生き方は無期懲役と変わらないな、と思いました。
しかも、「生き続ける」ことはある種の人にとってはとても負担になります。
今、自殺が問題となっており、「自殺対策」という言葉も目に付きますが、その時期、私も自殺について調べました。
いろいろな意見を見ましたが、自殺をしないように説得する人たちの言っていることがあまりにも薄っぺらく、何も分からない人の戯れ言のようにしか感じられませんでした。
「自分の魂・人格を棄てて社会に従属し、生命を存続させ続けろ」という脅迫を感じました。
『ヨブ記』を読む
経緯は詳しく覚えていませんが、『旧約聖書』の『ヨブ記』を読もうと思い、読みました。
ヨブは神の教えに忠実な人でしたが、サタンはヨブの信仰心の動機を疑い(信仰することで財が得られるから信仰しているだけではないのか)、ヨブの信仰心を試すためにヨブから財を取り上げ信仰心を試そうとします。
神もこれを許可しました。
ヨブは財産や大切な人たちを奪われ、自分自身もひどい病に冒されますが、それでも神を信仰し続けました。
その後、ヨブのもとを訪れた友人たちとの問答、神との問答が続きます。
ヨブは信仰心の強い人でしたが、サタンに試され、いわゆる絶望的な状態に追い込まれます。
このヨブの試練から、「生きる意味」について何かヒントが得られるのではないかと思いましたが、私には良い答えを引き出すことはできませんでした。
この時期、『旧約聖書』のほか『新約聖書』、『クルアーン』も電子書籍で読みかじりました。
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読む
『ヨブ記』が作中に登場する小説として、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読みました。
この作品の「大審問官」という項は、よく哲学的な本などで取り上げられていることもあり、興味がありました。
ドストエフスキーの作品は、アラベスクのように織りなされる複雑怪奇な人間関係や運命、不完全な人間をリアルに描いていて感動しました。
しかし、文学作品として感動したものの、「生きる意味」ということへのヒントは得られませんでした。
小説を書くことからスピリチュアルへ
同じ時期、自分でも小説を書いていました。思いついたことをどんどん繋げて小説を書いていくと、何やら意味深な問題がいくつも持ち上がってきます。
また、不思議な偶然が相次いで起こります。
自分の小説の登場人物にふと思いついた名前(非常に珍しい名前)をつけ、気になった小説の本を開くと同じ登場人物名が目に付きます。
外出先でふと目の前のマンションを見上げると、マンション名がその登場人物の名前であることに気がつきます。
小説にイスラーム系の人が登場した矢先、駅でエジプト人のムスリムの方に道を尋ねられます。
前々から薄々感じていたことではありますが、自分が何かに遠隔操作され、どこかに導かれているということをどんどん確信していきます。
「スピリチュアルな情報は何が本当で何が嘘か判断できない」と考え、距離を置こうと考えていましたが、「自分の創造性を活かす」という一見非スピリチュアルな本を開くと、中にスピリチュアルなことが書かれており、スピリチュアルに気持ちが向かいます。
スピリチュアルを信じるか信じないかに関係なく、書かれている内容に納得がいくことに引きつけられました。
生きる意味や価値が見いだせず、閉塞感と虚無感漂う暗闇の世界に再び光が差し込んできたように思えました。
31歳の誕生日に感じたこと
4月に31歳の誕生日を迎えました。自分が生まれたときのことを家族から聞くと、今の自分のあり方にとても納得がいきました。
私は小児仮死で生まれ、息を吹き返した後、保育器の中に入っていました。それが私にとって、この世界との出会いでした。
多くの人は、家族や周囲の人と関わる中で「世界とはこういうものだ」ということに目覚めていくのかも知れません。
しかし私の場合、他の人を介在させずに直接世界を見てしまったように思えます。
その世界が自分にとって真実の姿であり、後から教え込まれた世界観は他人の作ったフィクションのようにしか思えていなかったことを自覚しました。
そして私が世界と初めて向き合ったとき、そこには私だけではなく、誰かが存在していたことを感じました。
そしてその誰かはいつも私の人生に寄り添い、見守り続けていることも感じました。
ライティングの仕事でイスラム文化を紹介
2017年に、ライティングの仕事を始めました。たまたま「イスラム文化紹介」記事の仕事を見つけ、受注しました。
イスラームについてインターネットで検索し、情報を集めていく過程で、「信憑性のない雑な情報が溢れている」という印象を持ちました。
ライティングを通して「正確な情報だけを書きたい」と思うようになり、いつしかインターネット上の雑な情報に対して「そうじゃないんだ」と憤る自分がいました。
駅の書店で『クルアーン』に出会う
そんなある日、駅で時間があったのでたまたま書店に立ち寄ったところ、『日亜対訳クルアーン』が目に付きます。
以前は電子書籍で中途半端に読んだだけでしたが、しっかりとしたハードカバーの本で読み込んでみたいと思いました。
監修者の中田考先生もムスリムであり、スマホで調べたAmazonのレビューも良かったので、購入しました。以降、時間があれば『クルアーン』を読むようになりました。
インターネット上でムスリマ(女性イスラーム教徒)さんにシャハーダを教わる
いつの間にかインターネット上で礼拝の仕方やウドゥーの仕方(身の清め方)などを調べ、少しずつ実践するようになっていました。
イスラームに関する海外サイトで外国人のムスリマさんにイスラームに関する質問をし、対話したところ、「あなたは既に中身がムスリムですね」と言われ、自分でも納得しました。
そのムスリマさんがシャハーダの言葉を教えてくださり、自分の部屋でアッラーにシャハーダを行いました。
坂城町のモスクへ
シャハーダを手伝ってくださったムスリマさんたちの紹介で、長野県にもモスクがあることを知ります。5月12日の金曜日、初めてモスクを訪れました。
そこにいらっしゃたのはほとんどパキスタン人の方々で、パキスタン人ムスリムの方々に囲まれる中、イマームさんに導かれつつシャハーダを行いました。
イスラームに入って変わったこと
私は現在、イスラームについて初歩的な勉強をしている段階です。ムスリムとして未熟ではありますが、イスラームに入って良かったという実感は日々強くなっています。
「イスラームに入って変わったこと」や「良かったこと」、「気づき」、「見方が変わったこと」などは、また改めてまとめてみたいと思います。
長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
アッラーの平安と慈悲があなたに訪れますように。
.السلام عليكم ورحمة الله