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日本の哲学(?)とイスラームの地平融合へ:中田考先生『イスラームの論理』

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日本語による哲学とイスラームの地平融合へ:中田考先生『イスラームの論理』

6月末に中田考先生の『イスラームの論理』を再読し、その後、ナーブルスィーの『神秘哲学集成』を手に取りました(時間をかけて読むべき本だと思うので、ゆっくり読み進めています…というか、ゆっくりとしか読めない)。

1週間に5章くらいずつ『やさしい神様のお話』もゆっくり読み進めているのですが、ここでタウヒード(神の唯一性)について繰り返し説かれていることが、そのほかのいろいろな本の理解を深めるのに役立っていると感じています。

『やさしい神様のお話』を読み進めている中でふと頭に浮かぶのが、学生時代に興味を持っていた(しかしきちんと読んでいない)西田幾多郎の哲学です。たまたま6月末に亡くなった上田閑照さんの『私とは何か』(学生時代にゼミで一部が扱われた/西田幾多郎やブーバーの思想が紹介される)が手元にあったので、再読しました。この本を読んで考えたことも、別の記事に書くかもしれません。

ان شاء الله

『イスラームの論理』の冒頭では、現代日本からイスラームに迫るためには、複数のヴェールが間に挟まっているという認識をまず持たなくてはならないということが示されます。

  1. 日本語というヴェール
  2. イスラーム世界が持つヴェール(イスラム圏の人たちのイスラーム理解、およびそこから伝わるイスラームには、普遍宗教としてのイスラームだけでなく、その地域の文化的イスラームが溶解してしまっている)
  3. 日本文化・オリエンタリズムの二重のヴェール(戦後日本のイスラーム学は、西欧オリエンタリズムの価値観を内面化している)
  4. 国家というヴェール
  5. 時間のヴェール(時間の経過によるウンマ内での知の喪失とノイズの堆積)

です。

これらのヴェールを認識することなしに「イスラームと呼ばれているもの」をそのまま「イスラーム」として受け取ってしまうことは、大きな誤認に陥ってしまうということでしょう。そのためこの本では、あえて「イスラームと現代世界」「日本とイスラーム」といったところから話しが進められ、現代日本にいる私たちとイスラームの間にあるヴェールを可視化することを促しているように思えました。

資本主義、現代の偶像、イスラーム世界の植民地化、カリフ制再興、ハラール認証の偶像崇拝…といった興味深いトピックが取り上げられていきますが、中でも私が特に気になったのが、「日本とイスラーム」の「イスラーム・日本文化の現在」と「アッラー」です。

「イスラーム・日本文化の現在」のところでは、永井均先生の<私>を巡る哲学の言葉が引用され、[日本の思想→タウヒードの認識→「人格神神学」]という流れが紹介されていました。タウヒードの唯一神が、クルアーンをもたらしたアッラー(人格神)であると同定するのがイスラーム神学の大きな課題であるというのを読んだ気がするのですが、ここにつながるイメージを持ちました。

また、[日本の思想→タウヒードの認識→「人格神神学」]の流れは、現代日本で生まれ育った私自身がムスリムに目覚めた過程に重なってくるとも感じました(私自身は直感に導かれていた部分が大きいのですが、そこには論理的な道筋があるという感覚もありました)。

中田先生は永井先生の哲学について、「日本文化とイスラーム文化の地平融合を我々は今、目前としている」と書かれていましたが、現代日本で自分自身がイスラーム・タウヒードを深く理解しようとする過程において、自分の中で、自分なりにこの地平融合を追いかける(何かしらの理解が得られるかどうかはわかりませんが)ことが大きな意味を持つという感覚を持ちました。自分がいる場所(時間・空間)とイスラームをしっかり繋げて了解していく作業になるかも知れません。

ان شاء الله

「アッラー」の項では、「宇宙に神はいない」「神はどこにも存在しない」というところから話しが始まり、「神と宇宙の根本的乖離」がイスラーム神学の基本前提であることが示されます。世界/宇宙の内部に神なる存在を立てず、それを否定していることが、ムスリムになる直前に、イスラームが正しい宗教であると私が確信した根拠の1つだったと思います。

この本のさまざまなトピックを見ていくと、イスラームについて考えることは、自分がいるこの世界(時間・空間の両者を含む)について考えることと同じだということに気づかされます。現代日本(と限定することはないかも知れません)とイスラームの間にあるヴェールの存在を認め、その困難さを引き受けつつその先へ進もうとすること、そのことが自分と世界(今いるこの世界を外側から見る)を知っていくということだと思います。

世界を離れてイスラームがどこかにあるわけではない。イスラームとは世界の姿であり、神を知る者にとって、世界と己は一つである。結局は、世界を知ること、己を知ることを擱いてイスラームの理解は存在しない。──中田考『イスラームの論理』p.294

この本を読んで興味を持ち、永井先生の著書も発注しました。困難ではありますが、自分にできる範囲で、イスラームを世界から切り離して対象化する方向ではなく、自分のいる場所(空間・時間)から地続きの世界(その外側をも含む/イスラーム)をもっと知っていきたいと思います。

アラビア語を勉強しないとなぁ…。

ان شاء الله

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