2日目はお昼前までゆっくり寝る予定でしたが、午前8時くらいに目が覚めてしまいました。
この日の予定は妻の実家への挨拶、義父のお墓参り、割礼でした。
Alam Asriの親切な隣人
目が覚めた後、日本の実家に電話をしました。両親は出かけていて、祖母が1人で留守番中。祖母に、無事インドネシアについている旨など話しました。
ホテルに1人。
その後、妻の実家に行くまでに時間があったので、少し外に出てみることにしました。
宿泊したのはこの建物の1階です。Hotel Alam Asri Resortという名前でしたが、コテージのような感じでした。
少し離れたところから、ガーデンアーチ越しに。
近くの建物で、若い夫婦らしき人たちがお互いに写真を撮っていたので、「撮りましょうか?」と英語で話しかけました。
英語が通じる方だったようで、お互いに自己紹介をしました。その方は私と同じ年齢で、ムハンマドさんという名前でした。
「日本人のムスリムに会えて嬉しい」と言って写真を撮ってくれました。
外の空気は日本(静岡あたり?)の初夏のようで、とても過ごしやすくポジティブな気分になりました。
しばらくすると誰かが部屋のドアをノックして…さっき知り合ったばかりのムハンマド兄が、「朝食にどうぞ」とbubur(お粥)を差し入れてくれました。
妻の実家・義父のお墓
バイクの後ろに乗って妻の実家へ。昨日は夜で景色がほとんど見えなかったため、初めて周辺の景色を見ました。5年前に行った沖縄を思い出しました。
妻の実家に到着。
お義母さん、義妹、義姪、それから別のフロアに住んでいるお義兄さんにも挨拶をしました。
妻の実家には2匹の猫が居ついているようで、猫さんたちにもお見えしました。
外を見ると、緑が広がっていました。
お義母さんからは、salakという珍しい果物をもらいました。少し酸っぱくて美味しかったです。皮が蛇の鱗のようなので、snakefruitという別名もあるとのことでした。
その後、必要なお金を引き出すために銀行へ。帰る途中、ズフル礼拝の時間になったので、近くのAl-Islah Mosqueで集団礼拝に参加。
集団礼拝を終えた後は妻の家族と一緒にお義父さんのお墓へ。お墓の入り口の大きな木は、cempedakという果物の木だそうです。
お義父さんのお墓に着くと、お墓の掃除をして、みんなでアル=ファーティハを唱えました。
お義父さんのお墓以外に、ほかの親戚の方々のお墓もありました。
少し山(丘)を上ったところから見た景色。
妻の友人たちが結婚を祝ってくれた
妻のスマホに連絡が入り、どうやら妻の小学校の頃からの友人たちがBandungから結婚のお祝いに来てくれたとのこと。
レストランで待っているということで、そのレストランに向かいました。
ランチはsup iga sapi 牛リブのスープとご飯。
食後にはカフェモカ。
2人の友人たちは妻にプレゼントをくれ、私たちの写真をチェキで撮影してくれました。
いざ割礼
友人たちとの食事が終わると再び妻の実家へ。
そこでワワンさん、義伯父さん、Ustadと合流して割礼を予約したクリニックへ。
割礼は、法学派によって義務か推奨かで解釈が分かれているらしいのですが、妻の周囲では(シャーフィー学派では)義務と考えられているようです。
いずれにせよ、イスラーム的には良いことなので、受けることにしました。
自分で陰部の毛を剃った(もともと剃っていたものの、より念入りに)後、いよいよ割礼手術がスタート。
クリニックにて血圧を測っているところです。ワワンさんが写真を撮って、心配している妻に様子を知らせてくれていたそうです。
割礼については、事前に「痛いよ」と言う人と、「痛くないよ」と言う人がいました。
麻酔をしているので我慢できない痛みではないですが、痛くないと言ったらウソになるかな、と思います。
最初に麻酔の注射を打つ際にチクっとした痛みがあり、その後複数回同じ痛み。
やがて点状に発生していた痛みが線状のものになり、「あれ?今切ってる?それとも麻酔をまた打った?終わった?これから?」などと思っている間に終了しました。
薬は、飲み薬が3種類
- 痛み止め
- 抗生物質
- ビタミン剤
これらのほか、ヨードチンキとパウダー状の抗生物質らしきものをもらいました。
割礼手術後は安静にしなくてはならないため、この後は基本的にホテル内待機となりました。
まだニカーを終えておらず、妻とは2人きりになれないため、ホテルにワワンさんが宿泊して世話をしてくれました。
つづく