故郷とは、自分を迎え入れてくれる温かい家族のいる場所

故郷とは、自分を迎え入れてくれる温かい家族のいる場所

なんだか、故郷を離れて遠くに出かける前のような気持ちになっている。

今夜、4週間過ごしたインドネシアを出発し、日本に帰る予定。

こういう気持ちを味わうのは、実家を出るとき以外では初めてではないだろうか?

二十代の頃に県外に就職・転職することになり、家族が送り出してくれたときと同じような気分になっている。

たぶん、インドネシアの親戚と過ごすなかで「家族」を実感したからだろう。わたしにとって故郷とは、「家族」のいる場所なのかもしれない。

故郷は自分にとって、単に「生まれ育った場所」ではない。わたしが生まれ育ったのは長野県松本市だが、「故郷」という特別な場所として見れるのは、せいぜい実家周辺の狭いエリア(あとはばあちゃん家のある安曇野市方面)だけでしかない。

それに、わたしの実家周辺は畑に囲まれていたのだが、今ではどんどんアパートが建つようになり、わたしが生まれ育った頃の面影はどんどんなくなっている。

Taman Bunga Nusantaraの道
一昨日、妻と娘、義姪とともに訪れたTaman Bunga Nusantara公園。お気に入りの場所に。

広々としていて緑がたくさん、家やお店は雑然と並んでいて、生活感が溢れている。そして人々は人懐っこい。明るいし、柔らかい。優しい。

インドネシア滞在中は、たくさんの親戚にお世話になった。

ある方から預かったザカーを困窮者や孤児に届けなくてはならなかったが、対象となる方々のリストを作ってクーポンを配布し、お米や油などを調達してラッピングして運んで…。

困窮者の方に配布した食糧
困窮者の方々、孤児たち計660名ほどに届けることができた。

そしてラマダーン明けのイードゥル・フィトルでも、親戚の方々とともに喜びを分かち合った。

イード礼拝前のタクビール
イード礼拝の前にマスジドに集まってタクビールする人々

わたしが小学生くらいの頃は、ばあちゃん家の近所でお祭りがあったりすると、親戚がたくさん集まって一緒に食事したりしていた。でも最近では、親戚が集まるのは結婚式や葬式だけ。
親戚みんなで集まって一緒に食事するという時間にも、とても懐かしさを感じた。

インドネシアのこの地域(西ジャワ)では、バナナの葉っぱをお皿代わりに、みんなで一緒に食事するのがお約束。

庭からバナナの葉を確保
バナナの葉っぱを庭から調達
葉っぱの上に食事を準備
「同じ葉の上で飯を食う」文化

先週の日曜日には、まもなく誕生日を迎える娘と、すでに誕生日を迎えた義姪のため、親戚や子どもたち50人ほどが集まってくれ、一緒に楽しい時間を過ごした。

賑やかに過ごしてきた日々を振り返り、今は第二の故郷となったインドネシアを去るのがとても名残惜しい。

Terima kasih, Indonesia! Terima kasih kepada orang-orang yang saya temui di Indonesia, keluarga dan kerabat saya! Sampai jumpa lagi!

ありがとう、インドネシア!ありがとう、インドネシアで出会った人たち、わたしの家族・親戚たち!また会う日まで!