マスジド ダールル・アルカム浅草(日の出前)

日本人ムスリム(イスラーム教徒)、アブドゥッラー小林優太の個人Webサイトです。

長野県出身で、現在は東京都のマスジド ダールル・アルカム浅草(イスラーム教のモスク)を中心に活動しています。

家族写真_六義園にて

現在やっていること

マスジド ダールル・アルカム浅草での活動

  • 土曜夜のダルス
    土曜夜のダルス
    毎週土曜日のイシャー礼拝後、イスラームのダルス(スピーチ)を日本語でおこなっています。
    *週によっては外国人スピーカーが担当することもあり、言語は担当者によって変わります。
  • 日曜イスラームクラス
    日曜イスラームクラス
    毎週日曜日の午後1時より、マスジドの3階にて、イスラームクラスを開講しています。
    対象は、男性(年齢不問)およびお子様です。
    内容は、主に以下の2つです。
    ⚫︎BUKU IQRO’(ブク・イクロ)を使った、クルアーンをの読み方の練習
    ⚫︎イスラームの基本知識
    *女性向けのクラスは休講中です。再開しましたら、こちらでお知らせします。
  • その他イベント
    ラマダーン月のイフタールパーティ、スィーラコンフェレンスなどイスラミック・サークル・オブ・ジャパン(ICOJ)での活動
  • 浅草モスクでは、予約制で見学の案内もさせていただいています。
    浅草モスク見学のご案内

イスラミック・サークル・オブ・ジャパン(ICOJ)での活動

  • 日本語オンライン・イスラーム勉強会の開講
    日本語オンライン・イスラーム勉強会の案内
  • ICOJ主催の各種イベントでのスピーチ
  • ネクスト・ジェネレーションの若者とともにイベントの企画や勉強会の講師を担当
  • イスラームに関する書籍の日本語訳の編集など
  • 毎週2回、日本国内の外国人イマーム(現在はICOJが招聘しているイマームのみを対象)に対する日本語学習のオンラインクラス(Japanese Language Class for Imams of ICOJ)を開講

わたしについての紹介記事

インドネシア人ムスリマ(イスラーム教徒)のライターさんが、わたしに関する記事を執筆してくださいました。

英語とインドネシア語があり、日本語はありません。

The Convert Story; Inspiring Story of the Japanese Imam at Asakusa Mosque
Kisah Menjadi Mualaf; Kisah Inspiratif Imam Orang Jepang di Masjid Asakusa

自分自身による、イスラーム入信の経緯に関する記事は以下です。

どのようにムスリム(イスラーム教徒)になったのか?

ちょっと詳細な自分史

  • 1986年4月3日、長野県東筑摩郡波田町(現松本市)に生まれる
  • 保育園や小学校低学年の頃は、植物に興味を持つ(食虫植物や山林に生える野草など)
  • 小学2年生から学校の図書館が使えるようになり、日本や世界の民話や伝説、江戸川乱歩の少年探偵シリーズなどを読むのが楽しみになる
  • 小学2年生の頃に、自宅に初めてスーパーファミコンが置かれ、RPG(ロマンシング サ・ガ2やファイナルファンタジーⅤ、Ⅵなど)を好きになる
  • 高学年になると、ゲームをきっかけに友達とお互いの家を行き来しながらよく遊ぶようになる
  • 小学5年生から合唱部に入る。6年生のとき、前年のNHK全国学校音楽コンクールで全国大会銅賞を受賞した、信州大学教育学部附属松本小から岩下史彌先生が転任されて顧問となり、合唱にはまる。NHKコンクールでは県大会で金賞を受賞。
  • 中学校からは陸上部に所属。中長距離走に夢中になる。
    中学のとき、真夏の炎天下のなか、初めて出場した3,000メートル走のレースではダントツのビリ。完走した際に競技場中から拍手され、ちょっと恥ずかしかった。
    記録や勝負にこだわりはなかったが(ただ走るのが楽しかっただけ)、中3の部活引退時には、悔しさや不完全燃焼感を抱く(入賞や上位の大会への出場など、何かが欲しかった)。
  • 高校(長野県松本深志高校)では中学以上に陸上競技に夢中になり、学業が疎かになる。
    高校で出会った長距離走のメンバーの何人かは中学時代に名前を知っていて、自分には手が届かない存在として憧れの目で見ていた。
    高1は貧血で振るわなかったが、高2で貧血を回復して以降は憧れの目で見ていた友人たちとお互いにライバル視するようになり、3人で交代するように5,000メートルの記録を更新し、楽しかった。
    高校総体は県大会出場、塩尻東筑木曽の代表メンバーで長野県縦断駅伝を走り、区間2位。
    大会で、自分たちとは異次元のスーパースター選手(佐久長聖高校の上野さんや佐藤さん)の走りを見る機会もあり、とても刺激的だった。
  • 高3で足を故障、回復後は貧血になり、中学時代同様に不完全燃焼感を抱きつつズルズルと部活を続ける(秋の駅伝まで)。受験勉強など、全く間に合わない状態で大学受験をし、不合格。
  • 1年間、マツヨビ(松本大学予備校)で浪人。夏に草間彌生展が松本市美術館であり、草間彌生の現代芸術に興味を持ったり、ドビュッシーの音楽に興味を持ったりする。受験勉強をしながら、哲学的なことをよく考えていた。
    気分転換に近所を走ったりもしていた。早く大学に入学し、陸上競技を再開したいと思っていた。
  • 信州大学人文学部に入学、哲学を専攻。
    浪人時代は「早く走りたい、走りたい」と思っていたし、1年早く入学していた高校時代のライバルからも陸上競技部入部を誘われていたのに、大学では入部せず、たまに近所や陸上競技練習場を走っていた。
    大学1年から3年とちょっと、塾講師のアルバイトを経験。
  • 大学卒業後は神奈川県内の塾、長野県内の塾で講師を2年間経験し、ウエディングプランナーに転職
  • 2016年にウエディングプランナーを辞め、フリーランスのライターとして活動を開始
  • 2017年5月に長野県の坂城マスジドにて、イスラームに入信
    毎週、パキスタン人の兄弟の車で1時間半かけて坂城マスジドの金曜礼拝に連れて行ってもらう。
    次の金曜日までに日亜対訳のクルアーンを読んだりそのほかのイスラーム関連のテクストを読み、イスラームについてわからないことなどを車のなかで聞くことが楽しみになる。
    同年の秋に塩尻市にマスジド ジャーミア アル・イーマーンができ、そちらに毎週通うようになる。
    毎週金曜礼拝後、インドネシア人のアジジルが、BUKU IQRO’を使ってアラビア語の読み方を教えてくれた。
    金曜礼拝前に日本語のスピーチをしたり、週1回の子どもたち向けのイスラーム勉強会などを担当
  • 2019年12月、インドネシアにて結婚
  • 2020年〜、コロナ禍でパキスタン人のイマームを塩尻マスジドに呼べなくなり、集団礼拝のイマームを担当
  • 2022年6月より、東京のダールル・アルカム浅草(浅草モスク)のイマームとして活動を開始
  • 2023年5月、長女が生まれる