※これはわたしが、「タルビーヤ・キャンプ2025」で行ったスピーチの公式テキスト(和訳)です。
السلام عليكم ورحمة الله وبركاته
الحمد لله رب العالمين والعاقبة للمتقين والصلاة والسلام على سيدنا محمد وعلى آله وصحبه أجمعين
皆さん、こんにちは。私の話を共有する機会をいただき、ありがとうございます。本日は、私の人生と、どのようにしてイスラームを知り、ムスリムとして目覚めたかについてお話ししたいと思います。
目次
私のイスラームへの道
――自分の人生の意味を見つけた方法――
幼少期
天国についての最初の疑問
私は子どものころ、特に宗教に関心はありませんでした。しかし、5歳前後のころ、幼稚園で友達と天国の存在について議論したことを覚えています。
わたしは天国の存在を無条件に信じていましたが、友達は大人たちから「天国は存在しない」と教えられたと言いました。わたしは「天国は存在する」と主張しましたが、家族からは「そういうものは昔の人々が作った幻想に過ぎない」と言われました。私は「そうか」と思い、それ以上考えるのをやめました。
同じころ、家には仏教のお経のカセットテープがあり、私はそれを覚えていました。あるとき病気で入院することになり、祖母が付き添ってくれました。
祖母はおもちゃを買ってくれましたが、すぐに飽きてしまい、わたしは覚えていたお経を唱え始めました。祖母は「病院でお経を唱えるのはまずい!(日本ではお経は葬儀・死を連想させる)」と思い、慌てて病院近くのおもちゃ屋に行き、新しいおもちゃを買ってくれました。
日本人の宗教観
文化としての宗教 / 物質主義的世界観の中で生きる
小学校以降も、私は宗教について特に考えませんでした。宗教に対する理解は、おそらく他の日本人と同じで、宗教は古い物語や伝説、神話が時間をかけて体系化されたもので、文化の一部という感覚でした。
実際には信じていなくても、儀式を伝統として維持し、物質主義的な世界観で生活しているという感覚です。
2001年 ― 転機
イスラームとの出会い
しかし、この認識は中学3年生のとき、2001年9月、アメリカ同時多発テロの発生で大きく変わりました。このときからニュースで「イスラーム」という言葉を頻繁に目にするようになりました。
もちろん中学生としてイスラームの存在は知っており、社会科で基本的な理解はありました。しかし私はそれを、日本の初詣やお寺での葬儀のような、外国の文化的慣習の一つとしか考えていませんでした。
ラマダーンと本当の信仰
これはただの伝統ではない
そのとき、ムスリムは厳しい条件下でも一か月間断食することを知りました(USAがアフガニスタンに9.11テロの報復攻撃をしようとしており、そのタイミングがちょうどイスラーム暦のラマダーン月に当たっており、アフガニスタンのムスリムは断食している・・・という内容をニュースで見たと記憶しています)。「これは本当に信じていなければできない。単なる習慣ならすぐにやめるだろう」と思いました。
イスラームには特別なものがあると感じ始めました。それは現代科学とも矛盾しない宗教なのではないか(科学が発達した現代においてもそこまで信仰されている宗教なのだから・・・)、とも思いましたが、そのときはまだ深く調べませんでした。
内面の葛藤
他人の承認のために生きない
私は自分と他の日本人の違いに気づきました。私は他人の称賛や認知のために行動しませんでした。
人に良く思われるためだけに行動したくはありませんでした。自分にとって本質的な価値のあることをしたかったのです。
高校時代
言葉と責任 ― 『クルアーン』人間章
高校では、現代社会や世界史の授業で宗教に触れました。キリスト教史のアリウス派とアタナシウス派の対立を学びました。
アリウス派は神は一つであるとし、三位一体を否定し、イエスは神の創造物だと考えました。一方、アタナシウス派は三位一体を支持しました。
私は信者ではありませんでしたが、論理的にはアリウス派の立場の方が納得がいくと思いました。しかしローマ帝国はアタナシウス派を受け入れ、325年のニケーア公会議でアリウス派を異端と宣言。三位一体がキリスト教の正統とされました。
また中学時代のエピソードも覚えています。歴史の授業でヨーロッパの宗教改革を学び、免罪符を疑問視した人々がピューリタンになったことに共感しました。後に自分がその立場なら、三位一体を調べ、真実を求めて『クルアーン』も読むだろうと思いました。
ちょうど高校に入った頃、学生にも携帯電話が普及しました(わたしも高校1年生で初めて自分の携帯電話を持ちました)。世界史の先生は、私たちが言葉を軽く扱っている現状について警告し、『クルアーン』の人間章を日本語で紹介しました。
(使徒よ、)言え。「私は人々の主に、ご加護を乞う、人々の王、(真に崇拝されるべき唯一の存在である、)人々の神に、頻りに身を潜ませて囁きかける者(シャイターン)の悪から。(それは、)人々の胸に(悪を)囁きかける、ジンと人々である」。─[クルアーン 114. 人々章]
出典:クルアーン百科事典, https://quranenc.com/ja/browse/japanese_saeedsato/114, (参照 2025-12-31)
イスラームの言葉に対する深い尊重は、現代の日本人にはほとんど失われている感覚だと指摘されました。1400年前の教えが現代にも通じると感じました。
真理を求めて
大学 ― 哲学
高校卒業後、担任は経済学を勧めましたが、私はもっと大きな問い――自分が存在する理由、この世界の意味、どう生きるべきか――を追求したいと思いました。
大学受験に失敗し、1年間考えた後、哲学を専攻することにしました。
他人と考えが合わないことが多く、主流の考えは真理の追求を途中で妥協していると感じました。常識を疑う学者たちに憧れましたが、彼らの結論を完全に信頼することはできませんでした(検証不能)。
大人になって ― 仕事と幻滅
大学卒業後、塾講師になりました。実生活に集中しようとしましたが、仕事や人間関係を通しての不正・理不尽さや自分の無力感の体験から、人生の意味について再び考えるようになりました。
哲学の書を読んでも最終的な答えは得られませんでした。また、人間関係では埋められない孤独感が常にありました。
そこで、人生に意味を与えてくれる宗教を探しました。近くにカトリック教会があったのでそこに行き、場合によってはクリスチャンになることも考えて聖書講座にも参加しましたが、仕事が忙しく、続けられませんでした。
その後、ウェディングプランナーになり仕事に没頭しましたが、孤独は続きました。困難が生じると再び人生の目的を問うようになり、成功やお金などを追い求めても満たされないと気づきました。
30歳の危機
人生とは何のためか
30歳前後で退職し、長く求めていた答えを探す決意をしました。哲学や文学(たとえばドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』)、新約聖書の福音書、旧約聖書のヨブ記などを読みました。
しかし、どれも答えを与えてくれるものではありませんでした。多くの日本の学者は西洋思想を学び、西洋の思想家はほとんどキリスト教を出発点としていると感じました。キリスト教的な世界観について知らないと、哲学的な本を十分に理解できないのではないか、と思いました。
精神的探求
キリスト教徒でない私は、三位一体のような矛盾を受け入れられませんでした。瞑想やスピリチュアリズムは高次の存在を認める助けになりましたが、人間が奇跡をコントロールできると主張するのは誤認だと思いました。こうした失望の中で、自分が本当に求めているものの形が徐々に見えてきました。
未知なる神への祈り
ある日、瞑想中にアラビア書道を思わせる抽象的な模様が目に入りました。大いなる存在に導かれていると感じ、祈りたいと思いましたが、方法やタイミングは分かりませんでした。
アザーンのアプリをダウンロードし、自分でイスラームの礼拝時間に合わせて祈り始めました。
そして、『クルアーン』をまだ読んだことがないことをふと思い出しました。その頃、趣味で小説を書いており、突然ムスリムの人物が頭に思い浮かび、物語の中に登場させました。間もなく、駅でエジプト人ムスリムに道を尋ねられ、その日がイスラーム祝日、イード・アル=アドハーだと聞きました。
同時期に、フリーランスでライターの仕事を始めており、イスラーム文化に関する記事を依頼されて執筆し始めました。オンラインの資料では不正確・不十分と感じ、コーランを直接読みたくなりました。
『クルアーン』との出会い
8年前のゴールデンウィーク、電車に乗り遅れ、時間潰しに立ち寄った駅の書店で『日亜対訳 クルアーン』を見つけ、「求めていたのはこれだ」と感じて購入し、駅で・電車で読みました。
帰宅後、正しく礼拝をしたくなり、子ども向けのウドゥー(清め)の方法を解説しているアプリをスマホにダウンロードし、YouTubeでムスリムの礼拝を学び、その日から1日5回の礼拝を始めました。
イスラームこそ答え
New Muslim Guideというサイトでムスリムの外国人に細かい質問など含めてチャットしていたところ、「あなたの心はすでにムスリムだ」と言われました。
30年以上生きてきて、これまで本当に誰かと心から繋がったと感じたことはほとんどありませんでした。しかし、このムスリムとは文化も違い、外国人であるにもかかわらず、まるで幼馴染と再会したような感覚でした。
シャハーダ(信仰告白)の言葉を教わり、自分で唱えました。マスジドの場所も教えてもらい、翌週には金曜礼拝に参加し、イマームの前でシャハーダをしました。
私は宗教としてイスラームに入信したというよりも、人間の誤った思考の牢獄から抜け出し、真理の場所に来たのだと感じました。
その前から、イスラームこそが真の宗教であると考えていました。自分が求めていた条件をすべて満たすのはイスラームだけだと思えていました。
当時のわたしには、キリスト教は三位一体のため矛盾があり、ユダヤ教はユダヤ人に限定されているというふうに理解されていました(神はすべての存在を創造しているのに、これはおかしくないか?)。
旧約聖書はモーセ以降にまとめられ、新約聖書の初期文書はギリシャ語の翻訳であり、イエスが話していたはずのアラム語ではありません。神からの原初のメッセージに辿り着ける宗教を模索すると、必然的にイスラームに至ります。
仏教も多くの宗派があり、ブッダの教えの原点に辿り着くのは困難に思えました。
『クルアーン』だけが、原初のメッセージを奇跡的に保持した書物として残っていました。どの道を探しても、最終的にイスラームに行き着くと感じ、ムスリムになるのは避けられませんでした。
新しい人生
20代は苦悩と試練の連続でした。しかし30代、ムスリムになってからの8年間、ムスリムとして、夫・父として生活し、平安と幸福を感じています。
最近、高校時代の世界史の先生とFacebookで再会しました。先生は校長を務められた後、再び現場の教師として教壇に立ち、授業でパレスチナ問題を取り上げることを宣言されていました。私がムスリムになったと伝えると、先生は次のように返信してくださいました。「そうですか、今、浅草のモスクにおられるのですか。人々、万物のいのち、地球のために祈る人生に踏み出されていることに、心からの敬意を抱きますし、応援させてください。・・・小林さんをはじめとする皆さんが、中東と日本社会の架け橋になってくださることを心から期待しています。また、会いましょう!」
無数のヒダーヤ(導き)
これまで何度もムスリムに目覚めるまでの人生を語るよう求められ、答えてきました。しかし今回、初めて取り上げたエピソードもありました(今まで忘れてしまっていたような出来事)。このことを通し、私の人生が無数のヒダーヤ(神の導き)に満ちていたことを深く感じました。アッラーがわたしをここまで導いてくださったことに心から感謝します。
الحمد لله رب العالمين
お聞きいただき、ありがとうございました。
جزاكم الله خيرا كثيرا
