マイペースに、自然体で歩く

マイペースに、自然体で歩く

2024年5月13日

昨日は母の日でしたが、わたしの母の誕生日でもありました。

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昨日の午後、母からLINEで送られてきた写真。

それからもう一つ、わたしがムスリム(イスラーム教徒)になったのも、7年前の5月12日のことでした。

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長野県坂城町にあるビラールマスジド坂城にて、金曜礼拝後、信仰告白(シャハーダ)

新しくムスリムになった方へのアドバイスとして、多くの方が、「無理せずマイペースに」と言っているのではないでしょうか(たまに逆のことをしている方々もいるようですが)。

アルハムドゥリッラー
わたしが入信したときも、周囲の人たちは温かくサポーティブで、何かを無理に強制するようなことはなく、むしろ入信についても慎重に確認してくださいました。

「本当に自分の意志でムスリムになりたいの?」
「誰かから強制されたり、脅されたりしていない?」
「自分で日本語訳のクルアーンを読んだりして勉強はしましたか?」

なんだか、想像していた宗教への入信シーンとは違いました(もっと、「入れ入れ」ムードなのかと想像していました)。

入信してからは、金曜礼拝が週に一回の楽しみになりました。当時は長野県内にモスクが一つしかなく、車で1時間半かかる坂城町のモスクまで、パキスタン人の方々に途中で拾ってもらい、連れて行ってもらっていました。

車に乗っている間、前の週の金曜日以降にクルアーンで読んだことやイスラームのテキストで勉強したことに関する質問などを彼らにぶつけます。

一回モスクまで行き来する間に、いろいろなことが学べました(テキストからはわからない、実際に宗教生活を送る人たちのメンタリティや感じ方、文化なども感じることができました)。

さて、インドネシア滞在のときに、「なんか自分、これまで無理しているところがあったな」と思いました。

無理することは悪いことばかりではないし、一時的に無理をしたことで役立っていることも確かにあるかもしれません。しかし人間は、無理(自分にとって不自然な努力)を続けていると、バランスを崩し、くたびれたり、なんらかの不調が起き、継続できなくなります。

イスラームでも、小さくても継続される善いおこないが、神からもっとも評価されると教えられています。

それに、信仰とは、心からのものでなくては意味がありません。なので、信仰生活は、マイペースにしか成り立たないはずです。

心を置き去りにしないこと

信仰生活は、ロボットのように善行をひたすら作業としてこなすことではないはずです。

特にわたしのような改宗者は、「答えはわかったけど、理由がいまいち理解できない」とか、「理屈はわかったけど、心が追いつかない」ということが何度も起こります。そしてこういう時には、無理をしないようにしてきました。

アルハムドゥリッラー
本当に恵まれているな、と思うのは、わたしの周りにいた人たちは、わたしがマイペースに信仰生活を送れるようにサポートしてくれはしても、わたしのペースを無視して何かを強制したりしてこなかったことです。残念ながら、これとは真逆の接し方をされ、モスクやムスリムのコミュニティから離れた改宗者もいるようです。

では、わたしが無理をしていたな、と感じたのはどういう部分だったのでしょうか?

「自分はもっとこうあるべき、こうすべきなのに、現実はこうだ」という意識からくる疲れです。自分を過大評価しているところから来ていたのかもしれません。

人間関係でも、なるべくいろいろな人とオープンに接するように心がけた時期もあれば、それにくたびれて、消極的になった時期もありました。

相手に敬意を持って尊重することは大切ですが、深く関わると害を被る相手というのもいるため、自分の感情に蓋をせずに、ヤバそうな人とは距離を置くとも大切かな、と思います。

話す内容以前に、ちょっとしたコミュニケーションを取るだけでも異常を感じる人というのがいます。ナルシスト、ヒーロー願望タイプが多い気がします。どういった人にも、そのように振る舞う背景がありますし、学ぶこともあるとは思いますが、無理はしないほうがいいでしょう。

  • いきなり感情的に捲し立ててくる(論外)

  • いきなり相手に批判的なことを言い、「どうだ、論破できるもんならしてみろ」というような態度をとる(論外)

  • 横柄に振る舞い、他者にぞんざいな命令口調でものを言う(論外)

  • 自分にしか興味がなく、自分のことを周囲に一方的に話すだけ

  • 口先では他人に敬意を払っているように見せかけているが、実際には上から目線で他者を見下している。他者を自分に都合よく動かそうとする。自分が常に前に出たい、中心にいたい、という欲求から、発作的・衝動的に動いたり発言したりする

  • 「自分は特別に優れた存在であり、他者は自分に敬意を持って従うべきである。そうなっていないのは、他者が愚か者ばかりだからであり、啓蒙してやる必要がある」…といった妄想に凝り固まっている

  • もともと知らない相手に対し、挨拶も自己紹介もなく、(相手が知り得ない)本人の個人的なことについて、感情的に話してくる

などです。

できる限り最低限の礼儀は払いつつも、無理せず距離を置くことにします。

「自分もそうかも!」と心配になった方は、基本的に大丈夫だと思います。こういうタイプの人は、自分を省みることができないので、そもそもそのような思考にはならないでしょう。

「いつもマイペース、自然体でいなくてはならない」という意識もストレスを生みます。たまにバランスを崩しても、ある程度のマイペースさ、自然体を維持しながらこれからも歩いていけたら、と思います。