「西の魔女が死んだ」

「西の魔女が死んだ」

2024年9月23日

金曜日の早朝に変な汗、筋肉痛、関節痛、頭痛が発生し、体温が39.5度まで急上昇。

お腹の調子も悪化。

妻が作ってくれたブブル(おかゆ)も一口しか食べられず、朝食は梨のみ。

開院直後にタクシーでクリニックへ。

身近に新型コロナウイルスに感染された方がいましたが、自分は検査の結果、陰性でした。「4日間休めば良くなるでしょう。薬は4日分出しておきます。もし火曜日になっても熱が下がらなければ、また来てください」と言われました。

帰宅すると、体温は37土台まで下がりました。

今は、薬の効果もあるのかもしれませんが、体温は平熱です。お腹の調子だけはまだ正常に戻っていません。

4日間はおとなしくして、本でも読んでいることにしました。

昨夜手に取ったのが、梨木香歩『西の魔女が死んだ』でした。5年前にある本で紹介されていたのがきっかけで購入したのですが、最初の部分だけ読んで、閉じられていました。

たまたま本棚の奥にあったのを見つけて取り出し、開いてみると、活字も大きく改行が多く、220ページ。すぐに読めそうなので読み始めました(一昨日はガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を再読、前の週にはドストエフスキーの『悪霊』を読んでおり、活字が小さく改行も少なく600ページ以上という長編に少しくたびれてもいました)。

「西の魔女が死んだ」の主人公まいは、中学に入学して1ヶ月、学校に通うことができなくなり、母に祖母(=西の魔女)の家に連れてこられ、そこで過ごすことになります。

小学校か中学校の頃に読んだ、『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間』という児童書でも、祖父母の家が重要な避難場所になっていたことを思い出しました。

わたし自身も小学校や中学校の頃、母方の祖父母の家に泊まりに行っていたことを懐かしく思い出しました。

読書中、過去の出来事だけでなく、思春期の頃に感じていた匂いや空気が懐かしく蘇ってきます。

短いシンプルな表現なのに、読んでいると、春の始まりの匂い、鳥たちの鳴き声、やさしい風、安心して身を投げ出したベッドのやさしく気持ちよい感触などが、リアルに思い出されてきます。

まいは、おばあちゃんの家の近くに、「回りを木に囲まれた陽当たりのいい場所」を見つけ、そこが「いちばん好きな場所」、「まいの欲しかったまいの『場所』」、「わたしの場所」になります。

おばあちゃんはまいに、自分の土地の好きな場所をまいにあげる、そこを自分の畑にしなさい、と言います。まいはもちろん、「いちばん好きな場所」を選びました。

イギリス人の祖母は、そこを「マイ・サンクチュアリ」と呼びます。

 おばあちゃんも別のじょうろで裏庭に撒いていた。紫色のキャベツの外葉に注がれたハーブティーは、くるくると琥珀色の玉となって揺れた。眠っていたような青虫やアブラムシはあたふたと逃げ出した。まいは大声で笑いながらそれを見つつ、ずーっとあの場所のことを思っていた。ああ、本当にあの場所がわたしの場所になったのだ・・・・・・。

ずっとずっと後になって、まいは、おばあちゃんが、法律的にも本当にその土地をまいのものにしてくれていたことを知った。そして結局そのことが、おばあちゃんの山全体を開発の波から救うことにもなったのだった。

引用:梨木香歩『西の魔女が死んだ』新潮文庫 p.94

自然に囲まれた祖母の家で魔女修行(魔女になるための必須条件は「自分で決める」こと)をしつつ、まいは生き生きとした元気な自分を取り戻し、やがて母と、父の単身赴任先のT市へ・・・。その2年後、おばあちゃんが亡くなり、まいは再び母の車で祖母の家に向かいます。

わたし自身もまいと同じように、中学に入学した数ヶ月後、学校に行きたくない、全てを投げ出したいという時期に差し掛かり、母に連れられて祖母の家の近くのある場所に来たことを思い出しました。

室山
中学の頃、母と一緒に来たのはこの室山の下にある池でした。この写真は、今年の5月末に長野県に家族で帰省した際に撮ったものです。母の車で祖母の家に行き、その帰りに寄ってもらいました。中学の頃の話はしませんでしたが・・・。

物語の途中で、まいがいじめ=魔女狩りのような状態に置かれていたことが発覚します。学校でいくつものグループができ、それらのグループは互いに敵対したり仲良くしたりしていますが、誰か一人を敵に決めれば仲良くできる、とまいは言いました。

『悪霊』でピョートル(わたしが大嫌いな、饒舌な悪党!)が、シャートフに密告者の疑いをかけて殺害させることで、残った仲間の結束を図ろうとしたことを思い出しました。

わたし自身の経験を振り返ってみると、会社員時代、わたし自身がこういう標的にされたり、ほかの誰かがこういう標的にされ(標的は定期的にローテーションされる)、周囲は皆自分の保身のために一緒になって攻撃(批判・否定・無視・誹謗中傷・嘲笑など)に加担する、ということが繰り返し起こっていたように思います(わたしが経験した複数の会社でそうでした)。くだらなく幼稚、愚劣で醜悪としか言いようがないのですが、ある普遍性を持つ人間の本性の一部と言えるかもしれません。

この小説にはクサノオウやギンリョウソウなど、植物の名前も頻繁に登場します。わたしも保育園から小学生の頃、野草が好きで、小学1年生の頃に林の中で神秘的なギンリョウソウに出会ったこともあったため、とても一層親しみを感じました。

梨木香歩さんという作家をこれまで知りませんでしたので調べてみると・・・、たまたまわたしが1日前に読んでいたマルケスの『百年の孤独』の愛読者で、単行本の解説も担当されていたらしいことがわかりました(わたしが今回読んだのは新潮文庫の改訂新書版だったため、その解説はありませんでした)。

なんだか不思議な繋がり・親しみを感じる作家・作品です。