日常 | Daily Life

【アラビア語レッスン】グンナ(鼻から音を出すこと)に苦戦中…頭ではなく、体で覚えるしかない!

ムスハフ

夜、アラビア語発音のレッスンをオンラインで受けています。

いつから始まったんだっけ…以前の投稿を見たら、5月24日からでした。

スタートしてからいつの間にか5ヶ月近くが経過。

الحمد لله

BUKU IQRO’という教材が終わり、現在は一度覚えたクルアーンのスーラを、正確なタジュウィードで読めるように復習しています。

たぶん、最初にアラビア語を教えてくれた親友のアジジルや妻、そのほかの方も何度か指摘してくださっていたと思うのですが…
ن
の発音の仕分けが正しく身に付いておらず、苦戦しています。

الحمد لله

日本語で読めるタジュウィードのテキストがない…と思い込んでいたのですが、先生から紹介していただきました。

日本語のタジュウィードテキスト

今まで感覚に頼ったり、外国人のQari(クルアーン読誦者)の発音をただ(ルールもよく分からずに)真似たりしていただけでしたが、日本語で解説を読んだことで、ルールが明確になりました。

最近学んだこと:グンナ(鼻から音を出す)して読む場所

  • イクラーブ:بの前のنはمの発音で読む(グンナあり)
  • イフファー:نを隠してグンナで読む(グンナあり)
  • イドガーム・ビグンナ:ي و م نの前のن→つないで読む(グンナあり)
  • イドガーム・ビラー・グンナ:ل رの前のن→つないで読む(グンナなし)
  • イズハール:ء ه ع ح غ خの前のن→つながない(グンナなし)

改めてムスハフを見ると、ちゃんとわかりやすく色分けなどされていたのですが、知らないものは見えない、という状況でした。

ان شاء الله

今後は、必ずムスハフを開いて練習したいと思います。

クルアーンを覚え始めた最初の頃はアラビア文字が全く読めなかったため、耳に頼って覚える癖がついていました。

しかも、頭の中で知らないルールはそぎ落とされ、間違って変換されてしまっていたと思います。

今後は、

  • ムスハフを開いて繰り返し正確に読む→頭ではなく口・舌・鼻・喉の感覚・耳を慣れさせる
  • Qariの発音を聴くときもムスハフを開いて正確に目で追う

を意識していきたいと思います。

100円ショップにて、外出時のイスティンジャーに役立つグッズに思いがけず遭遇

BotLLet携帯用おしり洗浄具

写真は、本日100円ショップ「Can Do(キャンドゥ)」で出会った、「BotLLet携帯用おしり洗浄具」(株式会社小久保工業所)です。

金曜礼拝からの帰り道、駅の近くのキャンドゥに立ち寄ることが多いのですが、今日も「トイレ用のお掃除シートが残り1枚だったよな…」と思って足を運びました。

トイレ関係の商品が並ぶ棚に行き、お目当てのお掃除シートを確保。

「ほかにどんなものが売ってるのかな…」と周囲を見回していたら、その出会いは突然訪れました!

الحمد لله

実は、求めていたんです!こういうの!!!

先日妻が電車に乗って移動したときのことです。

彼女は駅や電車内のトイレを使いたくないと言いました。

なぜならトイレがウォシュレットではなく、水で洗うことができないからです。

イスラームでは、用を足した後は排泄部位を水でキレイにするイスティンジャーや、紙や石で拭き取るイスティジュマールをしなくてはなりません。

これを怠ると、礼拝前に行う浄めが成立しなくなり、礼拝ができなくなってしまいます

イスラム圏ではトイレにイスティンジャー用のハンドシャワーが備え付けられていることが多いようです(私はモスクで見ました。インドネシアに行ったときは、水の入った容器が置かれていたかな…)。

用を足した後トイレットペーパーで拭くだけというのはどうも不潔に感じられてしまうのです。

妻には「水の入ったペットボトルを持ち歩くようにしようか…」などと言っていたのですが、まさにこの問題解決に役立つグッズではないですか!

収納されたノズル

写真のように、ノズルはペットボトル内に収納できます。

空のペットボトルを携帯し、必要なときに水を入れれば使えます。

何て便利!

帰宅後、実際に水を入れて、水の発射実験を行いました。

役立ちそうです。

100円ショップ…創意工夫に溢れた便利な商品が他にもありそうで、興味深いです。

カユ マニス ハラル カフェ(Kayu Manis Halal Cafe)が間もなく開店2周年!

フィッシュカリー&ライス

先週末、友人夫妻がやっている「カユ マニス ハラル カフェ(Kayu Manis Halal Cafe)」に行ってきました。

妻が以前から「行きたい」と言っていましたがなかなかタイミングが合わず、この日をとても楽しみにしていました。

「ナシクラブ」と「フィッシュカリー&ライス」

写真は、左側が私が作っていただいた「フィッシュカリー&ライス」、右側が妻の「ナシケラブ」です。

メニューは時期によって変わります。

ナシケラブは現在のメニューにはなかったのですが、妻のために特別に用意してくださいました…ありがとうございました。

青いご飯は珍しいですね。

バタフライピー(チョウマメ)の花びらで色を付けているのだそうです。

「ナシケラブ」はマレーシア・クランタン州で有名な朝ご飯だそうです。

妻は日本に来る前にマレーシアで仕事をしていたので、「懐かしい」と言って食べていました。

私も少し分けてもらいました。サンバルなどを絡めて食べるのですが、私にはサンバルは想像以上に辛かったです。なので2口目はサンバルなしでいただきました。美味しかったです。

「フィッシュカリー&ライス」の方は私にはちょうどいい辛さ(辛い味付けにだいぶ慣れてきました)で美味しくいただきました!

久しぶりのカユマニスにて、夫婦でランチタイムを楽しみました。

実は私たち夫婦が婚約したのもここでした!

ما شاء الله

早いもので、カユマニスがオープンしてからもう少しで2周年を迎えようとしています。

現在は平日(予約制/主に金曜日)・土日ランチタイムの営業となっています。

↓2月の営業スケジュールです。
カユ マニス ハラル カフェの2月のスケジュール

↓今週末のメニューはこちらだそうです。
カユ マニス ハラル カフェ2月最終週のメニュー

長野県松本市でハラールの料理が食べられる珍しいお店です。

礼拝室もあるので、松本市に来られたムスリムの方はぜひ立ち寄ってみてください!

もちろん、ムスリムでない方もマレーシアの美味しい家庭料理が楽しめますのでぜひ足を運んでみてください!

Kayu Manis Halal Café ──カユ マニス ハラル カフェ──
住所:〒390-0811 長野県松本市中央3丁目6
電話番号:0263-87-8122
営業時間:土日はお昼の12時〜午後2時30分、平日は予約制
※ 詳細はお店のInstagramFacebookアカウントでご確認ください。
カユ マニス ハラル カフェQRコード

【インドネシア訪問記④】2019年12月19日:帰国

【インドネシア訪問記④】2019年12月19日:帰国

まもなく中部国際空港に着陸

インドネシアでの滞在期間はあっという間に過ぎ去り(割礼して寝てばかりいたので余計に)、帰国する日になりました。

妻がお土産などをパッキングしてくれ、チェックアウト。妻の実家に向かいました。

カプチーノとbakso

妻の実家にて、カプチーノを飲みつつbaksoで軽い朝食。

義妹、義姪と

義妹のインタン、義姪のエルサと。

スカルノハッタ国際空港

妻の実家で昼食を食べ、ズフル&アスル礼拝をしてからスカルノハッタ国際空港へ。帰りもやはり渋滞していましたが、少し余裕を持って到着。

スカルノハッタ国際空港での記念写真

お義母さん、近所のおばあちゃん、インタン、エルサが空港まで見送ってくれました(エルサが写真を撮ってくれたので写ってないですが)。

次回渡航のためのメモとして

  • 帰国の際にインドネシアルピーを円にするのを忘れないこと
  • 夜の便(エコノミークラス)は熟睡困難
  • 虫除けスプレーを事前に準備しておくこと

الحمد لله

家族、友人など、たくさんの人の助けがあり、安全に楽しい時間を過ごすことができました。

今後の日本での生活、アッラーに助けを乞いつつ、妻と共にイスラームに忠実に歩んでいきたいと思います。

インドネシアで出会った方々にまた会う日も楽しみにしています。

ان شاء الله

【インドネシア訪問記③】2019年12月16日:結婚しました。

الحمد لله

12月16日(月)午前11時、妻の実家にてニカー(イスラームの結婚契約)を行い、無事夫婦となることができました。

この記事では、前日12月15日(日)の出来事を簡単に振り返り、16日当日の出来事を紹介したいと思います。

ان شاء الله

12月15日(日)の出来事

前の日に割礼をしており、ワワン兄が一緒にホテルに泊まってくれていました。

ファジュル礼拝の時間に一緒に起きて、ずっといろいろな話をしていました。

Alam Asriで用意してもらったコーヒー

割礼した痛みはほとんどなく、少し外に出て一緒にコーヒーも飲みました。

その後、明日のニカーの際の食材等を買わなくてはいけないため、ワワン兄は妻の実家へ。

ホテルで1人になり、イスに座って『ムハンマドの言葉:ハディース』を読んでいて、ふと腰を上げると…

なんとイスの上が血で濡れている…着ていたサロンのお尻の部分も血でぐっしょり…

ふだん血を見ることがあまりないため、結構びびりました…。

とにかく薬をつけて安静にするしかない…動きすぎたことを反省しつつ、ベッドに横になって大人しくしていました。

夕方にはワワン兄の代わりに義従兄のルスランさんが来てくれ、Google translatorを使って簡単なインドネシア語/英語で会話しました。

夜、ワワン兄が帰って来てルスランさんと交代したときには、私は眠りについていました。

家族・たくさんの親戚・友人たちに祝福されてのニカー

この日はワワン兄の車で妻の実家へ向かいました。

妻の実家にはすでに親族の方々や妻の友人たちが集まっていました。

部屋の中に進むと、ドレスアップした妻の姿が…。

ドレスアップした妻

これはドレスアップした妻の写真。後日、妻からもらいました。

LINEで日本の家族とビデオコールをつないで、Ustadが来て、ニカーが始まりました。

インドネシア語で口上を述べる

義伯父と握手をし、義伯父に続いてインドネシア語で結婚を宣言しました。

妻にマハルを渡しています

妻にマハルを渡しています。

妻の指に指輪を

妻の指に指輪を…最初は緊張してぎこちなかった。

ニカーが結んだ後は、記念撮影&食事の時間になりました。

妻の家族と

義妹、お義母さん、義姪、義妹に囲まれて。

ワワンさんと

ワワンさんと。ニカーの際は通訳をしてくれたり、私の実家に映像を見せるために動き回ってくれました。

ルスラン夫妻子と

ルスラン夫妻&お子様と。

ニカー後のツーショット

2人で。

ニカー後の食事

料理は親戚の方々が作ってくださいました。割礼の際に食物制限を言われていたので、食べて良いものを妻が盛り付けてくれました。

フォトスタジオで記念撮影

昼食後はズフルの礼拝をして、近所のフォトスタジオへ。妻の先輩がされているCouple Studio Cipanasで、記念撮影をしました。

ニカー後の記念撮影

ニカー後の記念撮影

ニカー後の記念撮影

3つの部屋を使い、雰囲気の異なる写真を残すことができました。

夕飯はスンダ料理のレストランへ

夕飯は、スンダ料理のレストラン、Rumah Makan Bumi Akiで食べました。

ワワンさん&妻と、Bumi Akiにて

来る途中、寒かったのでパーカーを買いました。ワワンさんとお揃いです。

アボカドジュース

初めてアボカドジュースを飲みました。甘くて飲みやすかったです。

ニカー後は妻の実家に泊まる予定でしたが、割礼後ということもあり、広いスペースがあった方が安心…ということで引き続きAlam Asriにお世話になることに。

ワワンさんに代わって、妻と泊まることになりました。

つづく

【インドネシア訪問記②】2019年12月14日:妻の実家・義父のお墓を訪問後、割礼

2日目はお昼前までゆっくり寝る予定でしたが、午前8時くらいに目が覚めてしまいました。

この日の予定は妻の実家への挨拶、義父のお墓参り、割礼でした。

Alam Asriの親切な隣人

目が覚めた後、日本の実家に電話をしました。両親は出かけていて、祖母が1人で留守番中。祖母に、無事インドネシアについている旨など話しました。

ホテルに1人。

その後、妻の実家に行くまでに時間があったので、少し外に出てみることにしました。

宿泊した建物

宿泊したのはこの建物の1階です。Hotel Alam Asri Resortという名前でしたが、コテージのような感じでした。

ガーデンアーチ

少し離れたところから、ガーデンアーチ越しに。

近くの建物で、若い夫婦らしき人たちがお互いに写真を撮っていたので、「撮りましょうか?」と英語で話しかけました。

英語が通じる方だったようで、お互いに自己紹介をしました。その方は私と同じ年齢で、ムハンマドさんという名前でした。

熱帯の緑を背景に

「日本人のムスリムに会えて嬉しい」と言って写真を撮ってくれました。

外の空気は日本(静岡あたり?)の初夏のようで、とても過ごしやすくポジティブな気分になりました。

ムハンマド兄が差し入れてくれたbubur
しばらくすると誰かが部屋のドアをノックして…さっき知り合ったばかりのムハンマド兄が、「朝食にどうぞ」とbubur(お粥)を差し入れてくれました。

妻の実家・義父のお墓

バイクの後ろに乗って妻の実家へ。昨日は夜で景色がほとんど見えなかったため、初めて周辺の景色を見ました。5年前に行った沖縄を思い出しました。

妻の実家の風景

妻の実家に到着。

お義母さん、義妹、義姪、それから別のフロアに住んでいるお義兄さんにも挨拶をしました。

妻に撫でられてリラックスする猫

妻の実家には2匹の猫が居ついているようで、猫さんたちにもお見えしました。

妻の実家からの風景

外を見ると、緑が広がっていました。

お義母さんからは、salakという珍しい果物をもらいました。少し酸っぱくて美味しかったです。皮が蛇の鱗のようなので、snakefruitという別名もあるとのことでした。

その後、必要なお金を引き出すために銀行へ。帰る途中、ズフル礼拝の時間になったので、近くのAl-Islah Mosqueで集団礼拝に参加。

cempedak

cempedak
集団礼拝を終えた後は妻の家族と一緒にお義父さんのお墓へ。お墓の入り口の大きな木は、cempedakという果物の木だそうです。

お義父さんのお墓に着くと、お墓の掃除をして、みんなでアル=ファーティハを唱えました。

お義父さんのお墓以外に、ほかの親戚の方々のお墓もありました。

お墓のある山からの風景

少し山(丘)を上ったところから見た景色。

妻の友人たちが結婚を祝ってくれた

妻のスマホに連絡が入り、どうやら妻の小学校の頃からの友人たちがBandungから結婚のお祝いに来てくれたとのこと。

レストランで待っているということで、そのレストランに向かいました。

sup ida sapi

ランチはsup iga sapi 牛リブのスープとご飯。

カフェモカ

食後にはカフェモカ。

妻とのツーショットチェキ写真

2人の友人たちは妻にプレゼントをくれ、私たちの写真をチェキで撮影してくれました。

いざ割礼

友人たちとの食事が終わると再び妻の実家へ。

そこでワワンさん、義伯父さん、Ustadと合流して割礼を予約したクリニックへ。

割礼は、法学派によって義務か推奨かで解釈が分かれているらしいのですが、妻の周囲では(シャーフィー学派では)義務と考えられているようです。

いずれにせよ、イスラーム的には良いことなので、受けることにしました。

自分で陰部の毛を剃った(もともと剃っていたものの、より念入りに)後、いよいよ割礼手術がスタート。

クリニックにて血圧を測る

クリニックにて血圧を測っているところです。ワワンさんが写真を撮って、心配している妻に様子を知らせてくれていたそうです。

割礼については、事前に「痛いよ」と言う人と、「痛くないよ」と言う人がいました。

麻酔をしているので我慢できない痛みではないですが、痛くないと言ったらウソになるかな、と思います。

最初に麻酔の注射を打つ際にチクっとした痛みがあり、その後複数回同じ痛み。

やがて点状に発生していた痛みが線状のものになり、「あれ?今切ってる?それとも麻酔をまた打った?終わった?これから?」などと思っている間に終了しました。

薬は、飲み薬が3種類

  • 痛み止め
  • 抗生物質
  • ビタミン剤

これらのほか、ヨードチンキとパウダー状の抗生物質らしきものをもらいました。

割礼手術後は安静にしなくてはならないため、この後は基本的にホテル内待機となりました。

まだニカーを終えておらず、妻とは2人きりになれないため、ホテルにワワンさんが宿泊して世話をしてくれました。

つづく

【インドネシア訪問記①】2019年12月13日:インドネシアに出発

2019年12月13日(金)〜12月19日(木)までの6日間、インドネシアで過ごしました。

インドネシアに行った目的は、結婚です。

12月16日(月)に、妻の実家(Cianjur)にてニカー(イスラームの結婚契約)を行いました。

الحمد لله

今回から数回にわたり、インドネシアで過ごした期間の思い出を公開したいと思います。

ان شاء الله

中部国際空港へ

بسم الله الرحمن الرحيم

日本を出発したのは12月13日でしたが、前日の12日から、愛知県半田市のホテルに一泊しました。

※ちなみに、JR半田駅にはエレベーターがないので、重たい荷物を抱えた方は要注意です。現役最古の跨線橋を持つ駅らしいのですが。近くの知多半田駅にはエレベーターがありました。

朝6:00にホテルを出て、重たいローラーバッグを引きずりながら電車を乗りつなぎ、中部国際空港へ。

中部国際空港チェックインカウンター

空港内のカフェで、肉やアルコールを使っていない無難なモーニングセットを食べ、チェックインしました。

フライトボード

私たちが最初に乗ることになっていたのはシンガポール航空SQ671便、シンガポール行きです。

前日の夜にオンラインでチェックインしておいたのが関係あるのかないのか、チェックインはすぐに完了。

青空の下のSQ671便

ゲート付近で搭乗開始をゆったりと待ちました。

飛行機に乗るのは約5年ぶり、海外に行くのは約12年ぶり(そんなに経ってたなんてびっくり!)ということもあり、とてもワクワクしました。

初めてのシンガポール航空

シンガポール航空を利用するのは初めてでしたが、カタール航空と並んで評価がとても高い航空会社だと知っていたので、楽しみにしていました。

もちろん、エコノミーですが。

離陸直後の窓からの景色

離陸直後。窓から。

青い空を窓から

SQ671便エコノミークラスのムスリム・ミール

ムスリム・ミールです。このほか、パンもありました。美味しかったです。

飛行機内では、『ムハンマドの言葉:ハディース』を読んだり、映画「名探偵コナン 紺青の拳」(まったく知らない映画ばかりだったため、アニメを選択)を視聴したりしました。妻は「ライオンキング」を視聴していました。

「紺青の拳」はあまり面白く感じませんでした。映画の舞台はシンガポールで、シンガポールの街がめちゃくちゃな状況になってエンディングになると、飛行機もシンガポールに着きました。

シンガポールは天気が悪かった

シンガポールにてSQ964便に乗り換え。

雨に濡れるSQ964便

搭乗時間になっても案内されず…しばらく待つと、天候が悪いためとアナウンスが入りました。

離陸直後の窓からの景色

搭乗後もなかなか滑走に入れない感じでしたが、しばらくして3機くらい連続して滑走、離陸。

SQ964便エコノミークラスのディナー

この便での夕飯は共通でした。

一応、アテンダントさんにムスリム・ミールについて尋ねましたが、ないと言われました。

夜のジャカルタ

写真は撮れませんでしたが、空から見たジャカルタの夜景はとても綺麗でした。

飛行機内ではクリスマスソングのピアノ演奏がBGMとして流れていてロマンチックな雰囲気のはずでしたが、気圧の変化で耳に強い痛みがあり、夜景に見入る余裕がありませんでした。

スカルノハッタ国際空港の掲示

入国審査を受けて荷物を受け取った後、ワワン兄と合流。ワワン兄の車でCianjurに向かいました。

ココナッツとオレンジのジュース

途中で休憩&食事。

これはココナッツとオレンジのジュース。

Sate ayam

Sate ayam

ジャカルタからCianjurまでは断続的に渋滞があり、ホテルに着いたのはジャカルタに着いてから7時間後、現地時間午前2時過ぎでした。

車での移動、最初はインドネシアのハイウェイにスリルがありすぎて眠れませんでしたが、途中で何度か眠りに落ちました。

ホテルに着いてからは眠さに耐えて時間を潰し、ファジュル礼拝をしてから眠りました。

拡声器でクルアーン読誦、アザーンが響き渡っていて新鮮でした。

つづく

久しぶりに会った友人たちと食事、ご近所の戦場カメラマンさん(日本人ムスリム)との不思議な出会い

今日は学生時代の友人2人と久しぶりに会う約束をしていました。蒸し暑い松本の街を3人でぶらぶら歩き、高砂通りで見つけたお店でランチ。食事をしたのはお店の2階でしたが、涼しい風が自然に入ってきて心地よかったです。

友人の内1人とは今年に入って一度会っていましたが、もう1人と会うのは約2年ぶり…この間に私がムスリムになっていたということで、ムスリムになった経緯やお互いの近況など、いろいろな話をして盛り上がりました。

その後は少し歩いてカフェへ。いつの間にか蒸し暑さは消えて、涼しく気持ちの良い風が吹いていました。スイーツ&コーヒーでおしゃべり。ムスリムの食事や結婚、モスクの雰囲気など、話している内にイスラームにとても興味がわいてきたようで、日本語訳のクルアーンやイスラーム関連の本などを紹介しました。なんと友人の1人は名古屋でムスリムの方と交流したり、モスクを見学してムスリムの中に混じって食事をした経験もあったようでした。

その後、友人が行ってみたいお店があるということで、books 電線の鳥さんへ。「本とコーヒーとうたた寝を提供する」というユニークなお店で、お店というよりはご自宅にお邪魔しているというような雰囲気でした。古本があり、コーヒーを飲みながらゆったりできる(まさにうたた寝できるような)くつろげる空間。お店をされているご夫婦は、とても穏やかで優しそうな方々でした。

民家をお店にしており、静かで落ち着いた雰囲気でした。中庭の向こう側には大きな蔵も見えました。ふと本棚を見ると、イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本教について』が置かれているのが目に付きました。

と、ここでアスルのサラート(午後の礼拝)の時間に。外は雨が降り始めました。何となく、「このお店の中でサラートさせてもらいたい」という気がしました。自分がムスリムであることを伝え、お店でサラートさせていただいても良いか聞くと、「もちろんです!」「方角はわかりますか?」「イスラームの礼拝を見学させてもらっても良いですか?」と快諾いただきました。

お部屋の一隅でサラート。ムスリムになった経緯などを聞かれ、「クルアーンを聞いてみたい」ということもおっしゃられたので、iPhoneのアプリでクルアーンの読誦や本文を紹介しました。

そして本日2杯目のコーヒーをいただいていると、「この近所(徒歩30秒)にムスリムの方が居て、カフェをされていますよ。戦場カメラマンの方です」と、近所に日本人ムスリムの方がいることを紹介されました。雨がほとんど止んだので、そのお店を出ることに。お店の奥さんからは、「またぜひお祈りをしに来てください」と言われました。

友人たちと、紹介されたお店へ。なんとそのお店は、私が普段駅に向かうときに前を通っている近所のお店で、以前から何となく気になっており、「いつか行ってみたいな」と思っていたお店でした。まさかそのお店が日本人ムスリムの方のお店だったとは…。

الحمد لله

そのお店をされていらっしゃるのは戦場カメラマンの村田信一さんという方で、パレスティナ・イスラエル、ルワンダ、イラクなどに足を運び、現地で多くの写真を撮影されてきたとのことでした。お店にあった村田さんの著書で写真などを拝見しつつ、イスラエルの現地のお話などうかがいながらアラビアコーヒーをいただきました。

本日3杯目となるコーヒーは初めてのアラビアコーヒーでしたが、カルダモン(?)の上品な風味が豊かで、とても美味しかったです。

すぐ近所に日本人ムスリムの方がいらっしゃったこと、いつも前を通るお店をされていたこと、友人が行きたいと言っていたお店でたまたまサラートさせていただいたことがきっかけで出会ったことにびっくりしました。

お店の名前は「恋する虜」──フランスの小説家ジャン・ジュネの作品名からとのことです。

الحمد لله

友人たちとお店を出て(このときもお店にいる間に雨が降っていましたが、お店を出るタイミングで雨が止みました)イオンモールを散策し、タイ料理店で一緒に夕飯を食べました。不換紙幣や利子の話、偶像崇拝、旅行の話などで盛り上がりました。

友人がイスラームにとても興味を持ったり(機会があれば広丘のモスクに行ってみたいそう)近所の日本人ムスリムの方と出会うなど、予想外なことが盛りだくさんの1日でした。

◉この記事に登場したお店

  • books 電線の鳥(長野県松本市城東)
  • 恋する虜(長野県松本市城東) ※2019年11月25日をもって営業終了されました。

台風通過後の諏訪湖・板垣先生・新しい仲間との出会い

台風通過後の今日は、諏訪湖周辺を訪れました。

アズハル大学留学中で、一時帰国中のオサマさん(タジュウィード=クルアーン読誦法を学ばせていただいています)に誘われて、中東・イスラム研究者でいらっしゃる板垣雄三先生のもとを訪れました。ムスリムの仲間との新たな出会いもあり、先生やムスリムの仲間たちから貴重なお話を聞かせていただきました。

الحمد لله

ムスリムとして、自分に何ができるのか・何がしたいのか・何をなすべきか問い、学び、考え、行動していきたいと思いました。

ان شاء الله

久しぶりに自然の美しい風景に包まれ、癒やされました。

(2019年1月20日:編集)

どのようにムスリム(イスラーム教徒)になったのか?

モスクの壁

私がムスリムになった経緯をまとめてみたい

アルハンブラ宮殿

.بسم الله الرحمن الرحيم

私はムスリム(イスラーム教徒)です。2017年5月にムスリムになりました。

実は私の住む長野県松本市のすぐ近く、塩尻市に最近新しいモスクができ、2週間前から塩尻のモスクに礼拝に行っています。

これまでは坂城町にあるモスクに通っていたのですが、今後は塩尻のモスクに通うことになりました。

2週間前に初めて塩尻のモスクに行った際、改めてパキスタン人の方々やインドネシア人の方々に自己紹介をしました。

その際、「なぜイスラームに入ったのか?」という質問を受け、答えました。

改めて自分がイスラームに入った理由を考えてみると、「多くのきっかけに運ばれてきた」という感覚が強いです。

今後も「なぜイスラームに入ったのか?」と訊かれる機会がありそうですし、自分自身でも整理がついていなかったので、考えつつまとめてみようと思います。

なぜムスリムになった?

「なぜイスラームに入った?」と訊かれ、さまざまなきっかけや経緯を話したことはあるものの、「なぜ」という部分については答えたことがないことに改めて気がつきました。

「どのように」については答えられますが、「なぜ」という問いに答えることは難しいです。

「〜〜するため」、「〜〜だと思ったから」という説明をしてしまうと、たくさんの大切なことがそぎ落とされてしまう感覚があります。

なぜ私がムスリムになったのか?──アッラーのみぞ知る、です。

なったというより気がついた!?

ムスリムに「なった」というよりは、自分がもともとムスリムだったことに「気がついた」という方が近いかも知れません。

保育園の頃から、自分が見ている世界と、周囲の人たちと共有しあえる世界とのギャップを感じていました。

「周囲の人たちには真実の世界が見えないんだ」という感覚を強く持っていました。

その感覚は小学校、中学校と進むにつれて薄れていきましたが、周囲と共有される「現実」や社会というものへの違和感として残り続けました。

今振り返ってみると、イスラームを知らない人たちが頭の中で作り出したイデオロギーになじめないのは自然のことだったように思えます。

国家、社会、権威、金銭的価値、人々が語る「正しさ」、「偉い人」…これらは知識や経験、能力に限界のある人間が作り出したものに過ぎません(これらがアンデルセンのいう「皇帝の新しい着物」(通称『裸の王様』)であり、イスラームのいう「偶像」だったことを後で知ります)。

それらに従うということ、つまり自分の魂をそれらに預け、支配されることに違和感を覚えていたように思えます。

シャハーダするまでの経緯

太陽とモスク

「なぜ」については答えは出せないので、「どのように」に話をすり替えたいと思います。

私は今年の5月8日の夜に自宅でアッラーにシャハーダし、12日に坂城町のモスクでシャハーダを行いました。シャハーダはイスラームに入るために必要なことです。

シャハーダとは

シャハーダは、「信仰告白」と日本語に訳されます。

「アッラーのほかに崇拝に値するものはなく、ムハンマドはアッラーの使者である」という内容をアラビア語で唱えます。

アッラーに向かって、続いてモスクでムスリムの方々の前でシャハーダすることで、改めて私はムスリムとなりました。

キリスト教会に通っていたこともあった

教会

実は以前、キリスト教会に通っていたこともありました。2011年のことです。自分の限界や人間関係、恋愛のうまくいかなさなどに悩んでいました。

そしてすべてのうまくいかなさの根っこには、「他者に完全性を求めていること」があると感づいていました。

人間には限界がある。完璧な人などいない。誰も自分のことを100%わかって受け容れてくれるなどということはない。それを求めてしまうことがすべてをうまくいかなくしている──と感じていました。

とはいえ、「そう理解した」だけでは何も変わりませんでした。

自分を100%わかって受け容れてくれる完全な存在──つまり神を求めたいという気持ちになりました。

しかし、今思えばこれは本当の信仰心ではありません。

私は神の存在を信じていたわけではなく、ただ自分をうまくコントロールするための道具として「神」を無理矢理信じ込み、頼ろうとしていただけでした。

日曜日にカトリック教会のミサに参加しました。親切なイラク人のクリスチャンと知り合いました。そしてクリスチャンになろうと思い、キリスト教講座に通います。

『旧約聖書』を読み、居眠りをしながら神父さんの解説を聞いていた記憶があります。

しかし、途中で教会に行くのをやめます。もともと信仰心がなかったので、宗教が自分の最上位にはなっていませんでした。

転職することになり、環境が変わったことで悩みに一旦蓋がされ、「無理に信じようとしたけど無理だった」無神論者に戻りました。

ただその時、キリスト教会について違和感を覚えていたことも記憶しています。

神を信仰しているのになぜ直接神に祈らずにイエス・キリストや聖母マリアに祈るのか?

『新約聖書』の福音書のどこにもイエス・キリストが神だという納得のいく根拠がないのになぜ三位一体説などというものが出てくるのか?

これらは宗教というよりも政治的にでっち上げられた物語ではないのか?

無心に祈っている一般信者が信仰心が強く、やたら理屈で納得や説明しようとする人たちは不信心なのではないか?──などなどです。

2016年冬、「生きる意味」について考える

本

昨年2016年の冬、生きる意味について考えることになりました。

母方の祖父が弱っており(今年の5月に亡くなりました)、「老人が苦しみながら生きているとしたら、ただの虐待じゃないか?」、「苦しんでまで生きる意味って何だ?」、「老人自身が自分で自分の生き方や死に方を判断できない──つまり自分の人生の基準となるものさしを見つけていない場合が多いのではないか?」など、さまざまなことを考え、モヤモヤとしていました。

同時に、自分自身についても同じでした。

お金を稼ぐ、結婚をする、家庭を作る、社会的に承認される、欲を満たす……このようなことは生き続けるモチベーションにはなりえないと感じました。

また、これらを生きるモチベーションにすることは、結局他の誰かに相互依存・相互従属することに繋がるようにも思えました。

最終、どこに行き着くのか?──他人に迷惑をかけながら、ただ長生きをして自分の欲を満たし続ける──そのような生き方は無期懲役と変わらないな、と思いました。

しかも、「生き続ける」ことはある種の人にとってはとても負担になります。

今、自殺が問題となっており、「自殺対策」という言葉も目に付きますが、その時期、私も自殺について調べました。

いろいろな意見を見ましたが、自殺をしないように説得する人たちの言っていることがあまりにも薄っぺらく、何も分からない人の戯れ言のようにしか感じられませんでした。

「自分の魂・人格を棄てて社会に従属し、生命を存続させ続けろ」という脅迫を感じました。

『ヨブ記』を読む

経緯は詳しく覚えていませんが、『旧約聖書』の『ヨブ記』を読もうと思い、読みました。

ヨブは神の教えに忠実な人でしたが、サタンはヨブの信仰心の動機を疑い(信仰することで財が得られるから信仰しているだけではないのか)、ヨブの信仰心を試すためにヨブから財を取り上げ信仰心を試そうとします。

神もこれを許可しました。

ヨブは財産や大切な人たちを奪われ、自分自身もひどい病に冒されますが、それでも神を信仰し続けました。

その後、ヨブのもとを訪れた友人たちとの問答、神との問答が続きます。

ヨブは信仰心の強い人でしたが、サタンに試され、いわゆる絶望的な状態に追い込まれます。

このヨブの試練から、「生きる意味」について何かヒントが得られるのではないかと思いましたが、私には良い答えを引き出すことはできませんでした。

この時期、『旧約聖書』のほか『新約聖書』、『クルアーン』も電子書籍で読みかじりました。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読む

『ヨブ記』が作中に登場する小説として、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読みました。

この作品の「大審問官」という項は、よく哲学的な本などで取り上げられていることもあり、興味がありました。

ドストエフスキーの作品は、アラベスクのように織りなされる複雑怪奇な人間関係や運命、不完全な人間をリアルに描いていて感動しました。

しかし、文学作品として感動したものの、「生きる意味」ということへのヒントは得られませんでした。

小説を書くことからスピリチュアルへ

同じ時期、自分でも小説を書いていました。思いついたことをどんどん繋げて小説を書いていくと、何やら意味深な問題がいくつも持ち上がってきます。

また、不思議な偶然が相次いで起こります。

自分の小説の登場人物にふと思いついた名前(非常に珍しい名前)をつけ、気になった小説の本を開くと同じ登場人物名が目に付きます。

外出先でふと目の前のマンションを見上げると、マンション名がその登場人物の名前であることに気がつきます。

小説にイスラーム系の人が登場した矢先、駅でエジプト人のムスリムの方に道を尋ねられます。

前々から薄々感じていたことではありますが、自分が何かに遠隔操作され、どこかに導かれているということをどんどん確信していきます。

「スピリチュアルな情報は何が本当で何が嘘か判断できない」と考え、距離を置こうと考えていましたが、「自分の創造性を活かす」という一見非スピリチュアルな本を開くと、中にスピリチュアルなことが書かれており、スピリチュアルに気持ちが向かいます。

スピリチュアルを信じるか信じないかに関係なく、書かれている内容に納得がいくことに引きつけられました。

生きる意味や価値が見いだせず、閉塞感と虚無感漂う暗闇の世界に再び光が差し込んできたように思えました。

31歳の誕生日に感じたこと

お皿の上のケーキとフォーク

4月に31歳の誕生日を迎えました。自分が生まれたときのことを家族から聞くと、今の自分のあり方にとても納得がいきました。

私は小児仮死で生まれ、息を吹き返した後、保育器の中に入っていました。それが私にとって、この世界との出会いでした。

多くの人は、家族や周囲の人と関わる中で「世界とはこういうものだ」ということに目覚めていくのかも知れません。

しかし私の場合、他の人を介在させずに直接世界を見てしまったように思えます。

その世界が自分にとって真実の姿であり、後から教え込まれた世界観は他人の作ったフィクションのようにしか思えていなかったことを自覚しました。

そして私が世界と初めて向き合ったとき、そこには私だけではなく、誰かが存在していたことを感じました。

そしてその誰かはいつも私の人生に寄り添い、見守り続けていることも感じました。

ライティングの仕事でイスラム文化を紹介

2017年に、ライティングの仕事を始めました。たまたま「イスラム文化紹介」記事の仕事を見つけ、受注しました。

イスラームについてインターネットで検索し、情報を集めていく過程で、「信憑性のない雑な情報が溢れている」という印象を持ちました。

ライティングを通して「正確な情報だけを書きたい」と思うようになり、いつしかインターネット上の雑な情報に対して「そうじゃないんだ」と憤る自分がいました。

駅の書店で『クルアーン』に出会う

書棚に並んだ本

そんなある日、駅で時間があったのでたまたま書店に立ち寄ったところ、『日亜対訳クルアーン』が目に付きます。

以前は電子書籍で中途半端に読んだだけでしたが、しっかりとしたハードカバーの本で読み込んでみたいと思いました。

監修者の中田考先生もムスリムであり、スマホで調べたAmazonのレビューも良かったので、購入しました。以降、時間があれば『クルアーン』を読むようになりました。

インターネット上でムスリマ(女性イスラーム教徒)さんにシャハーダを教わる

いつの間にかインターネット上で礼拝の仕方やウドゥーの仕方(身の清め方)などを調べ、少しずつ実践するようになっていました。

イスラームに関する海外サイトで外国人のムスリマさんにイスラームに関する質問をし、対話したところ、「あなたは既に中身がムスリムですね」と言われ、自分でも納得しました。

そのムスリマさんがシャハーダの言葉を教えてくださり、自分の部屋でアッラーにシャハーダを行いました。

坂城町のモスクへ

シャハーダを手伝ってくださったムスリマさんたちの紹介で、長野県にもモスクがあることを知ります。5月12日の金曜日、初めてモスクを訪れました。

そこにいらっしゃたのはほとんどパキスタン人の方々で、パキスタン人ムスリムの方々に囲まれる中、イマームさんに導かれつつシャハーダを行いました。

イスラームに入って変わったこと

港を歩くムスリムの人たち

私は現在、イスラームについて初歩的な勉強をしている段階です。ムスリムとして未熟ではありますが、イスラームに入って良かったという実感は日々強くなっています。

「イスラームに入って変わったこと」や「良かったこと」、「気づき」、「見方が変わったこと」などは、また改めてまとめてみたいと思います。

長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

アッラーの平安と慈悲があなたに訪れますように。

.السلام عليكم ورحمة الله